Nisei Week Japanese Festival
国際交流基金 ロサンゼルス大田楽狂言公演
ロサンゼルス(Los Angeles)は、もともとスペイン人が開拓した所で、スペイン語で「天使の街」を意味しています。
1869年(明治2年)最初に移民として西海岸に来たのは旧会津藩士の若者たちでした。主に農作業の小作人として働き貧しい暮らしながら信頼を得ていきました。しかし勤勉な日本人はそれ故に排斥運動につながり、日本の移民を禁止する法律ができました。そして、第二次世界大戦。1942年には12万もの日系人が砂漠の収容所に送られました。日系2世を中心に組織された442連隊は多くの死傷者を出しながらアメリカ軍に貢献しました。戦後、リトルトーキョーなどに戻った日系人は一からやり直しました、1988年レーガン大統領は日系人強制収容所の非を認め正式に謝罪しました。今、アメリカにいる日系人は80万人、各界で活躍しています。
サンタモニカやハリウッドに象徴される観光都市ロサンゼルスの一画リトルトーキョーでは、毎年8月にNisei Week Japanese Festival 二世週祭りが開催されます。ねぶた、盆踊りなど、日本の祭りや芸能が行われるのですが、大田楽はその最終日に国際交流基金からお招きいただきました。8月22日、万蔵師は安曇野薪能から、大田楽チームは六本木楽から羽田空港へ向かい、深夜便でロスへ旅立ちました。
1日早く渡米して市民参加を指導していたわざおぎと合流。本番に出られなくても参加したいという地元の方々約50名が番楽指導を受けたとのこと。その中の10人が翌日の2公演に出演しました。
23日、大田楽の会場は、日米文化会館の前にあるイサム・ノグチ広場。カリフォルニアの青空、降り注ぐ太陽の下で、大田楽アメリカ西海岸初披露となりました。
続いてファーストストリートに移動。宿泊しているMiyako Hotelの前の道路がつぎのステージでした。数え切れないお客様の拍手を受け、忘れられない公演となりました。大田楽の後、そこでは盆踊りも行われ、日本文化で楽しみたいたくさんの方々が集まっていました。
3世、4世になるとアジアの顔立ちをしていない方も多くなりますが、自分の血に流れるルーツを求め、こうした催しに参加することで、日本とアメリカへの思いを新たにしているのかもしれません。
25日夜8時から日米文化会館の日本庭園に作られた特設ステージで狂言の公演が行われました。夜の闇に浮かび上がる木立を背景に、柱に代わる竹が風に揺れる舞台。野村万蔵師のお話と狂言「伯母ヶ酒」、また稲葉明徳さん、山下由紀子さんの演奏をお楽しみいただきました。堀之内総領事ご夫妻をはじめ、ロス在住の広瀬香美さんらがお越しくださいました。
帰国日には、南カリフォルニア大学でワークショップを行いました。リトルトーキョーから中心地に来て、アメリカにいたんだと実感。狂言面の話や着付けなどもご覧いただき、熱心な質疑応答もありました。
大田楽は2泊4日、狂言は4泊6日という強行軍でしたが、ロスでの着実な第一歩になったと思います。日本から海を渡り苦労を重ね、大戦中の辛酸も乗り越えて築いた信頼と名誉。戦後70年の今年、日米の架け橋の一つを担えたことを光栄に思います。国際交流基金の皆様をはじめ、このプロジェクトにご尽力くださった皆様に深く感謝を申し上げます。