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大田楽について。ACT.JT

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大田楽とは

平安時代末期から、京の都を中心に全国各地で一世を風靡し、貴族・武士・大衆の区別なく熱狂を重ねながら室町時代には消滅してしまった「田楽」という芸能がありました。

その田楽のエネルギーはそのままに、各地の伝統芸能や、民俗芸能を盛り込み、さらには西洋の動きや音楽を取り入れ、舞踊家、音楽家、俳優たちとの協働作業により、狂言師 五世野村万之丞氏(1959-2004)が構成演出しました。

色とりどりの花をあしらった大きな笠をまとい、腰鼓や編木をつけて躍る人々、アクロバット、ジャグリング等様々なパフォーマンスが中世の絵巻物さながらに華やかに繰り広げられます。もう一つの特徴は、お祭りのように老若男女の誰もが参加でき、プロの俳優や演奏家と共に、市民参加として一緒に作り上げていくところです。市民参加者は本番の1ヶ月〜2ヶ月前から稽古を積み重ね、一緒の舞台にたちます。

1993年度文化庁芸術祭賞を受賞。1998年長野パラリンピック閉会式をはじめ、この大田楽を中心に構成された様々な催しが式典のアトラクションなどに展開しています。また新しいお祭りとして、地域活性化事業の一環として、地元市民参加の方々と一体となり各地で上演されています。2009年には伊勢神宮式年遷宮の宇治橋架け替えの際に奉納伊勢大田楽を、また御遷宮の2013年には奉祝伊勢大田楽を催しました。田主に人間国宝野村萬、巫女に松坂慶子が出演、演出はあらたに九世万蔵によるもので、総勢百余名による公演でした。

NHK大河ドラマでは、田楽の時代の作品には民衆の場面で大田楽が使われ、「太平記」「秀吉」「利家とまつ」「義経」「平清盛」「軍師官兵衛」に登場しました。学校授業に組み込まれているケースもあり、滋賀県守山市立命館守山中学では、中学2年生を対象に指導し発表を行なっています。ここ10年間の海外公演では、日米修好150周年記念行事として、在米日本大使館より招聘され、2003年には、さくら祭り開会式典、スミソニアン博物館で上演し、2004年にはケネディセンター大ホールにて「楽劇日本楽」の一部として大田楽も披露し、さくら祭りパレードに参加しました。2005年には日韓友情年の公式行事としてソウルで上演、2009年はホノルルフェスティバルで、また、ウィーン民俗学博物館とシェーンブルン宮殿前広場で公演しました。2012年3月にはワシントンに桜が寄贈されて百周年を記念する「さくら祭り」に参加。ワシントンとフィラデルフィアにて上演。2013年はスペイン、マドリードとグラナダで公演しました。2014年は赤毛のアンのふるさと、カナダプリンスエドワード島で文化交流を行います。

基本的な大田楽の構成(公演の趣旨、会場などにより構成演出は変わります)

行進・往(こうしん・おう)

どこからともなく心地よい古えの響きが聞こえてきます。響きは次第に近付き、不意に田楽法師が色とりどりの笠や意匠を凝らした装束の数々を纏って楽器を奏でながら登場し、観る者を幻想の世界へと誘って行きます。

物着(ものぎ)

行進を終えた田楽法師は座に着きます。澄んだ笛の音が夜空に冴え渡り、心を研ぎ澄まします。躍り手達は笠を脱ぎ楽器を外し、躍りの拵えを整えてやがて訪れる躍動の瞬間を心静かに待ちます。

番楽(ばんがく)

躍動感に満ちた喜びの躍り「番楽」が始まりました。山伏神楽に想を得、アップテンポなリズムを取り入れた勇壮かつ軽快な躍りは観客を一挙に熱狂の渦へと巻き込みます。

兎楽(うがく)

兎の肢体と霊力、そして五穀豊穣を祈願する心を舞踊として形象化したもの。兎歩と呼ばれる独特な足踏みにより地霊を鎮め、場を清めます。

王舞(おうのまい)

番楽の熱狂も覚めやらぬうちに、緋の装束に、鼻高面(天狗の面)、鉾を翳した王舞が現れます。鬼門を鎮め、場を浄める舞が、一官の笛の音、太鼓の重い響きと共に静かに、力強く舞われます。

獅子舞(ししまい)

眠りから覚めた二頭の獅子が、跳ね、走り、絡み合いながら舞います。黄色、萌黄色に彩られた色鮮やかな獅子が跳ね狂う様は、豪快なうちにもどこか愛らしく、勇壮なテンポの音楽に乗って、清列の気が充満してきます。

奏上(そうじょう)

田楽法師一行の長である田主(たあるじ)が白装束に翁烏帽子姿で現れ、神に向かって田楽法師の来訪を報告。裂帛の気合いと共に朗々と奏上を読み上げる姿に、辺り一面に厳粛な空気が流れます。"今ここに舞い遊ばん、いざここに躍り狂はん"

段上がり(だんあがり)

奏上の終わりと共に田楽法師一行は「遊びの場=神の庭」へと「入場」していき「大田楽」はクライマックスへと向かいます。

散華(さんげ)

汚れなき者の象薇=稚児(ちご)が神の庭を清めます。五色に彩られた華(紙)がまかれ、舞台に彩りが添えられます。

総田楽(そうでんがく)

「大田楽」のクライマックス、「総田楽」です。次から次へと繰り出される躍り・芸能・秘技の連続に思わず息をのんでしまうことでしょう。腰鼓(くれつづみ)、編木(ささら)、銅拍子(どうびょうし)など、楽器を囃しながらの力強い躍りが所狭しと繰り広げられ、さらに迫力満点のアクロバットにジャグリング、手に汗握る中国雑技に熱狂の渦は頂点へと達します。最後は、躍り手全員による「群舞」しめくくります。

行進・復(こうしん・ふく)

熱狂の余韻を断ち切るかのように、再び聞こえてくる心地よい古の響き、田楽法師一行は再び行列を組み、何処ともなく去っていきます。

田楽について

稲作農耕文化の日本人にとって、稲作は生きる事の最も根源的な作業でした。とりわけ田植えという作業は重視され、歌や囃子を奏して大掛かりに行なわれました。これは、稲作の中の激務である田植えを少しでもはかどらせることが目的でしたが、やがて田植えにかかせない儀礼となり、芸能の一ジャンルとして成立してくると、田楽という職業が生まれ,平安時代半ばには、田楽法師というプロ集団によって演じられるものになっていきました。身につけた楽器を囃しながら躍る田楽躍のほか、中国から伝わった散楽系の曲芸も取り入れて田楽を盛り上げていきました。

「栄華物語」には平安の殿上人も田楽にひきつけられていた様子が記されています。当時の京都では、貴族から庶民まで身分の差別なくその姿を真似て昼夜練り歩くという現象も見られるほど異常な盛り上がりを見せたのでした。

これだけ隆盛を極めた田楽も室町中期のころには猿楽という新しい芸能に取って代わられてしまいます。リオのカーニバルのような参加型の田楽も楽しいが、人は座ってじっくり観劇も楽しみたい。田楽に取って変った猿楽は、観客の前で演じられる仮面を用いたストーリー性のある劇でした。田楽は滅びたのではなく、時代の要求に即したものに変わっていったと考えるのが自然でしょう。